いつもみかける看板

最近いつもみかける看板です。

当院は北海道新幹線と同じ時期に開業いたしました。正確には当院は3月24日で北海道新幹線は3月26日の開業でした。診療室には北海道新幹線開業1年のパンフレットが置いてあります。北海道新幹線とともに歩むことになります。
JRは今年で30年目だそうです。
今から30年前は色々と考えていたこともあったし、結構しあわせで夢も希望もあったと思い出しました。
どれだけ実現できたでしょうか...ダメですね。
後半20年は矯正医として必死に走ってきたつもりですが、まだまだやりたいことはたくさんあります。その成果を常に診療に還元できたらと考えております。
今朝スタッフから「院長は子供みたいなことを考えてますね」と言われました。
どうやら精神年齢の進歩はあやしいです。修行が足りないようです。
でも曲がった事は嫌いです。真っ直ぐに見つめ、約束を守りたい。この30年弱、厳しかった東北の地でかなり鍛えられました。東日本大震災で、人生は大きく変わってしまいました。しかし、基本的な目標に変わりはありません。
色々な取材できかれて、いつも困ってごまかしてきたのですが、本当はなぜ歯科医になったのか今でもまったくわかりません。幼い頃から父のような教諭になりたかったです。大学特に医療系大学は教育の場としてはかなり特殊ですが、長く在籍しました。どんな形でも教壇に立ちたかったのだと思います。
いま大変よかったと感じているのは自分が診療を好きであることです。学生時代、仲間に明らかに診療が嫌いな友達がいました。
好きな仕事をしていく。
歯科医という職業に就けてよかったと思っております。
矯正医になることは、学生時代に自分で決めました。
歯科は削って、作る。失くして、補うがほとんどの診療になります。
歯自体を動かすことにより、リセットそして再構築出来るなら、普通の歯科医とは違う視野を持てると考えて歯科矯正学の門を叩きました。
人の歯を動かすので、現実はかなりシビアでなかなか思い通りには動いてくれません。
しかし、そこが自分の腕の見せどころであるとも思っております。
矯正医として生きていく、この選択は間違っていなかったと考えております。